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前からあったMD(マーチャンダイジング=商品構成)の弱さ、サービス、在庫など問題点が一気に露見し、その影響をいまだ引きずっている感は否めない。
つい先頃、ドラッグストアに置いてあった無料カタログの最新号を入手して、比較的アイテムが少ない時期とはいえ、ずいぶんスリムになっているのに驚いた。
現在では春夏秋冬と四期に分けて年間約三〇〇〇万部というところまで部数を削減。
千趣会のBさんの言ではないが、カタログ通販にとってはカタログこそが売場であり、業績の集約。
まずはそこを合理化せねばならないのがわかる。
日本の通販業界で最も早く(八六年)東証上場を果たしたのが、静岡県浜松市に本拠を置くムトウだが、その始まりは厳密な意味での通販ではない。
一九三九年、武藤洋裁所としてスタートしたムトウは、五四年、制服の見本作製依頼を受けた際、現物見本に一枚のチラシをつけ、注文の取りまとめをしてもらうようにしたところ、これが好評で後年のカタログ販売へ移行する契機となった。
同社最初の衣料品総合カタログが発行されたのは六七年たった。
発行部数は五万五〇〇〇部で、三〇ページに三六品目掲載という薄手のものだった。
同社の特徴たった現物見本は点数が増えるにつれ、徐に数を減らし、七七年に全廃されている。
七二年には、婦人会組織の強い農村部だけでなく、都市部での業績を上げるべく、テコ入れ策として販売代理人(エージェント)制を導入し、カタログ十訪販といった営業スタイルで、パーティー販売などにも取り組んだ。
メーカーとして創業したムトウだったが、その直販体制の維持よりカタログ販売に徹するほうが顧客ニーズに応えられると判断、七三年には縫製部門を分離、そして、組織販売中心から友の会を通じて個人寄りに次第にマーケティングを変え、八〇年にはクレジット会社の会員誌に出稿という形で、個人向け通販を実質的に開始した。
同社も九五年をS・Yに売上げを徐に落としつつあったが、九六年六月、創業社長・武藤信義からバトンを継いだ西田溥が大胆な改革を断行する。
伊藤忠出身で長くアパレル畑を歩んだ西田は「在庫は罪悪」と、その圧縮に手腕を発揮、売上げ重視から利益体質への転換へいち早く成功。
基幹誌『ラプティ』は二〇〇二年秋号から大幅なリニューアルを図り、表紙にトップモデルのSH一HOをレギュラー採用、内容も一新した。
同誌をけじめ、メインは五誌に絞り込み、また、書店・コンビニ展開としてさらに若年層に向けた新雑誌『HEART』を、同年四月より飛鳥新社との業務提携により創刊している。
さて、こうした一群の大手ゼネラル通販の中で我が道を行くのがフェリシモである。
同社は非上場、業績も非公開。
総合ランキング(6ページ参照)では、後述するベルーナに次いで九位に位置する(二〇〇二年度の売上高推計六八〇億円)。
オフィスは港町神戸を眸睨するインテリジェントビルの高層を数階占め、一段とおしやれ度が高い同社の気質を表している。
元は大阪の会社だが、一九九五年の震災を機に神戸に移った。
Uさんの話はのっけから禅問答のようだ。
要はものを売っている感覚で作るのではない、「未来の生活を買ってもらう」のだという。
鞄なら鞄を通じて広がる豊かな生活。
「お客様が生活をご自分でデザインするための素材を提供しているにすぎないんです」確かに同社は部門としてではなく、カタログ通販の中に頒布会形式を最も純粋な形で残す老舗といえる。
無作為にカタログのページを開けば、「ローゲージもこもこニットの会」「カランテ(ブランド名)いつでもつるせるハンギングシャツの会」といった感じで、毎月一回半年分でワンセットが基本の、ともかく「会」なのだ。
「例えば、こんな部屋や食卓にしたいといった、憧れの生活、なりたい自分に一歩ずつ近づくためのお手伝いをするんです。
やがて婚期を迎え、子供ができて親子二代で読まれている方も大勢いますよ」一九六五年に株式会社ハイセンスとして創業した同社は、七七年から現行カタログ『はいせんす絵本』を刊行。
同タイトルで生活雑貨・子供編を他に年二回発行し、大人向けとクリスマスシーズン前にも年一回出している。
それぞれが平均一〇〇万部、いずれも大変機知に富んだ品揃えで、世界最大のオリジナル商品保有社だと思います」そう話すUさんは、かつての自身のフェリシモ体験を語ってくれた。
「とても可愛くて、それが出会いですね。
その後もお弁当箱とかユニークなものかつて、利用するようになりました。
生活雑貨も所帯じみた感じがしないんですね。
ラップやアルミ箔に柄を入れたのも、うちが日本初じゃないのかな?」以前は男性向けや左利き専用カタログなども作ったとか。
鋏や包丁、ポケットが右にある服、がま口、すり鉢などなど左利きが必要としている商品は多い。
これは慧眼だ。
同社のそんな独創性は賞賛に値する。
しかし、あまりにも企業としての情報を外に漏らさず、神秘のベールに包まれた印象なのはなぜか。
JADMAの理事企業でありながら、毎月調査している理事社の販売実績にベネッセとともに回答拒否を続けていることには批判の声も上かつている。
お客様からお便りが届いたんですね。
『私はフェリシモと一対一の関係だと思っていたのに、実は一〇〇万もの人を相手にしている。
たかだか一〇〇万分の一なのか』と。
それ以来、あまり会社の詳細を明かすのはご遠慮させていただいてるんです」この一人の客を大事にする姿勢こそ究極の「通販愛」といえなくもないし、そのぶん同社は企業カラーを効果的に訴える自然環S・Y保護やチャリティなどに積極的だ。
また、二〇〇三年春から、束京や大阪など一五都府県でカタログの無料回収を行っているのも先進的といえよう。
に独創性については『真似したらクビだ』と社員はいつも発破をかけられます。
それだけ他社に真似され悔しい思いをしてるんです。
この間も、レジ龍にそのままセットできるショッピングバッグを開発したら、すぐコピーされました(笑)」カタログの作り方、商品、販売法、いずれもどれほど模倣が横行している業界か。
これは実物を見較べていただければ、目の肥えた消費者なら真贋は一目瞭然だろう。
二〇〇一年暮れには、シムリーが「商品デザインが酷似」を理由に、ベルーナを提訴するという一件も起きている。
ともあれ、カタログという媒体が唯一にして最大の表現となる、この販売形態にとって、好レスポンスを得る制作ノウハウが肝心要だといえる。
では、セシールを追う四国・香川の通販企業、シムリーの場合はどうか。
同社も時代の流れに沿い、ゼネラルの道をいったんは進んだのだが、現在は神戸に事業本部を置く、カタログ『イマージュ』から発する、ブランド中心のマーケティングに移行している。
同社の創業は一九七三年、社長の南保正義が高松市に、スーパーのPOPなどを扱う広告代理店を設立したことに始まる。
やがて、下着メーカーと懇意になったことから、七八年にはチラシ型カタログ『サンフローリアン』を創刊し、ナース向けストッキングなどの通販を開始。
八四年には神戸オフィスを開設し、『イマージュコレクッション』を創刊、頒布会販売を開始する。
八七年には株式会社シムリーに商号変更、九三年二月期には年商も五〇〇億円を突破し、同年七月には大証二部上場した。
